『技はすなわち精神の表現された技でなければならない。精神の表現された技を鍛錬することによって根本の精神を修養する。』

今朝のニュースでは胸を傷めました。加害者が小学生で同級生に対して数年間、詐欺と恐喝行為をしていたという事件。
私が毎朝運動する中で考えるのは「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念の意義を子供たちが理解し育むため、今日の道場稽古でどのように教えるか」
道場に通う生徒は幼児、小学生、中学生、大学生、社会人など年齢が異なり体力にも差があり、運動が得意な子や不得意な子がいたり、稽古に集中出来る子がいれば散漫な子もいます。各家庭の教育には違いがあるので価値観が大きく異なることを感じる時があります。そんな中で、「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念の意義を子供たちが理解し育む」という目標は、私1人で達成出来ることではなく、生徒たちと一緒に協力し合えた時にのみ成し遂げられるものです。
だから先ずは言葉で伝え、次に身体を動かして見せて伝え、手を取り足を取り触れ合って伝え、子供たちが自分の想いや考えを述べられる機会を作り、互いの気持ちを通わせる努力をする。自分以外の人間を気にかけたり興味を持つこと、自分が持つ好き嫌いの感覚や喜怒哀楽の感情が相手にもあることを子供たちが知り忘れない、そんな時間の積み重ねが「仁・惻隠」、「礼儀」の心の成長に繋がると信じています。
和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範の著書『空手道 第一巻』の《道と術》の中にあるお言葉『技はすなわち精神の表現された技でなければならない。精神の表現された技を鍛錬することによって根本の精神を修養するのである。』

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