武技の鍛錬の目的は、『武道精神』の練磨

昨日の投稿の冒頭に書いた『小学生が同級生に対して数年間、詐欺と恐喝行為をしていたという事件』について、昨日の午後のクラスで7歳と8歳の子供たちを対象に話し合ってみました。
私は子供たちに「’’何が’’悪いことかな?」と尋ねると、数名の生徒が挙手し「人を騙すこと、お金を取ること」と述べました。
私が「加害者も被害者も君たちと同じ小学生です。どうしてこんなことをしたと思う?」と尋ねると、子供たちは「人を騙すこととか、お金を取ることは悪いことだって習ってないんだと思う。」と述べました。私は続けて「習ってないことを教えるのは誰かな?」と尋ねると、「お父さんとか、お母さんとか、学校の先生とか、冨髙先生とか。」と子供たちは答えました。
「自分が怪我を負わないため、人に怪我を負わせないため、自分が事故や事件に巻き込まれないため、人を事故や事件に巻き込まないため、自分が病気にならず、人に病気をうつさないために予防したり備えることの重要性を教えて方法を工夫する機会を作るのが私たち大人であり、習い学ぶのが君たち子供です。」「私たち大人は君たちに教えたからもう大丈夫かな?君たちは私たち大人から習ったからもう大丈夫かな?」と尋ねると子供たちは長く黙り考えた後に挙手しました。「習っても忘れちゃうことがあるから、時々、誰かに言ってもらったほうが良いと思う。友達がダメだよって言ってくれたら思い出せるから。」と子供たちは述べました。
「自分のことを気にかけてくれる人を大切にしよう。そして自分も周りの人を気にかけてみよう。私たちは一人で生きていない。誰かの努力や優しさや創造した物に触れ心を動かされて’’よし!頑張ろう!’’と自分を鼓舞して生きています。少しずつ人のために、次に自国のために、そして世界の平和のために出来ることを考え見つけて自分の言動を役立てて行こう。」と伝え稽古を始めました。
一人の子供の身近にいる全ての大人が少しでも成長に携わろうと「寄り添う努力」は、まだ幼い子供たちの心を「健やかに成長させることが出来る」と信じて私も努めて行きます。

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