「何を教えるかではなく、どう伝えるかを考え、その伝え方を見つけること」

私を含め和道流の生徒は皆多くのことを三代宗家 大塚博紀 最高師範から学んでいます。
私は大塚先生と過ごす貴重な機会を与えられた中で大切にしている言葉があります。
「何を教えるかではなく、どう伝えるかを考え、その伝え方を見つけること」
先生がくれたこの言葉は、私に更なる探究心と創造力と行動力を生みました。
和道流の精神と共に私は歩み続けたいです。

All Wado-ryu students, including myself, have been learning a lot from Grand Master 3rd Otsuka Sensei.
I was given the precious opportunity to spend time with Otsuka Sensei, and there are words that I cherish.
“Think not about what to teach, but how to convey it, and find a way to convey it.”
These words that Sensei gave me even more inquisitiveness, creativity, and action.
I want to continue walking with the spirit of Wado-ryu.

「むずかしい」と言われるものには、見えにくい魅力が隠れていたりします

1本目から10本目まである基本組手のうち3本目が私は好きです。
好きだからその魅力をもっと知りたいし、見つけたくなる。
そしてその魅力は皆と共有することで、さらに大きな発見に繋がることがあります。
「むずかしい」と言われるものには、見えにくい魅力が隠れていたりしませんか。

Of the kihon kumite from 1ponme to 10ponme, I like 3bonme one.
Because I like it, I want to know more about its charm and want to find it.
And sharing that charm with everyone can lead to even greater discoveries.
Don’t you think that things that are said to be “difficult” have hidden charms that are hard to see?

『厳正なうちにも温かい愛情と同門者の相互友情』

I would like to shower my students with warm love even though I am strict with them, and to foster mutual friendship among my Dojomates.

和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P5 ≪武技鍛錬の目的≫
各人各様その考え方は、異るであろう。武道精神の鍛錬を目的となすもの,体育を目的となすもの,護身を目的となすもの、職務上必要となすもの、武技に長じ腕力的に優越感をもとむるを目的となすもの,単に趣味娯楽として楽しむことを目的となすもの、あるいは以上の内の数種を目的となすもの等種々あるであろう。人は各々主義思想が異る如く武技修業の目的にもまた差違あることは止むを得ない。だが修業者はあくまで武道の本義を修むることを心がけねばならないしまた指導者もそうあるように心して導かねばならない。多くのものは初めはその目的を異にしていてもこれを続けている内に単純な目的だけでは何か心に物足りなさを感じこれによって何物かを求めようとするようになる。そして次第に精神面へと入るようになるものである。そうなることによっていよいよ人間性が磨かれるのである。だが精神面や人間性の向上を目的とする錬磨なら武道の銀錬以外に方法はいろいろあるであろう。また単に体育だけを目的とするなら武技より体育医学的に勝れた体育法があろう。だが正しい精神の鍛錬は非常に困難である。この難事をあえて突破するには力と力、体と体をぶっつけ合って勝敗を競う武技の銀が有効である。然し(しかし)体力と体力の組合いによる勝負法である武技鍛錬の厳しさは恰も劇薬のそれの如きものがある。その方法正しければ効果極めて顕著となるも、ひとたびこれをあやまる時はその害計り知れぬものがある。武技を学ぶものは精神修養を目的とする境地に至るまでに邪道に陥らぬよう心がけねばならぬと同時に指導者の厳正なうちにも温かい愛情と同門者の相互友情とが必要である。武技を学ぶものはまた常に勝れた智能の修養に心がけねばならない。この厳しい武技鍛錬によって如何なる難事といえども之に屈することなく敢行しなければ止まない不屈不境のねばり強い精神力とそれに耐えうる体力とを養うのである。
即ち武技の鍛錬は武道精神の錬磨が目的である。

互いに支え合う思いやりの心、助け合う体力、命を守り活かす技

今年はまだ4月ですが、震度5強以上の地震がすでに10回発生しました。ご存じの通り、日本は地震大国であり巨大地震がいつ発生してもおかしくないと言われています。不安を抱き生活するのではなく、非常事態に備え飲料水や食料など防災グッズを準備すると共に、互いに支え合う『思いやりの心』を持ち続け、力を合わせ協力し合う『体力』を維持し、そして略奪や暴漢に対する護身の用具や技の扱い方を学び稽古する必要があると思っています。

夫婦手 ”MEOTODE”

30年前、高校生だった私に出稽古をさせてくれた大学空手道部の同窓会の翌日は、和道流空手道連盟百合ヶ丘空手道クラブ支部の昇級審査でした。
このクラブへ私が出稽古を始めたのも同じく30年前で、現支部長から指導を私が引き継いだのは17年前になります。
引き継いだばかりの頃は子供が少なく、私を含む大人たちが毎週日曜日に集まり4時間熱心に稽古していました。
合宿をしたり、大会に出場したり、海外へ遠征したりしているうちに徐々に子供たちが増え始め、コロナ禍で再び減ったりを繰り返しながらも活動を続けて現在に至ります。
17年間で今の百合ヶ丘空手道クラブが私は1番好きです。”武道精神”を共有出来るクラブ生たちとならより良い環境が作れるし、良い稽古が続けられます。
人から引き継いだ大切なものは決して失くさず大切に扱い、引き継いだ時より良いものにして私が信頼出来る方に手渡したい。
その想いを抱き続けこれからも百合ヶ丘空手道クラブ支部を成長させて行きたいと願っています。

【待ち手と懸け手】’’後先の手’’ ’’先先の先手’’ ’’先手’’ 「勝負は常にこの三つによって極まる」

和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P26 ≪待ち手と懸け手≫
勝負には待ち手と懸け手とがある。待ち手は相手が先手に出た場合に対応する手で、懸けはこちらからしかけるのである。待ち手には「後先の手」と「先先の先手」の二つがある。懸け手は先手である。勝負は常にこの三つによって極まるのである。後先の手は相手の攻撃を防禦すると同時に攻撃するので防禦即攻撃である。先先の先手は敵が先手に攻撃に移らんとしたその起りに先んじてこれを封じると同時に先手に出で攻撃する。俗に云う出鼻を挫くのである。やはり防禦即攻撃である。防禦と攻撃が別々になると常に防興に追い込まれる。攻撃は最大の防禦であることを忘れてはならぬ。先手は相手の隙をとらえて、あるいは隙を作って先手に出て攻撃するのである。相手もまた当方よりの攻撃に対し後先の手または先先の先手に出るから、それに懸からぬように裏の裏を読まなければならない。即ちかけ引きであると共に気合と間合が大切なのである。