The Importance of never neglecting training and never being careless

先日の月例稽古で指導して下さった先生の言葉「決して油断しないこと」の大切さを私はこれまで何度も実感した経験があるため、これからも決して失うことはありません。この「油断しないことの大切さ」を経験したことが無い生徒に教えるのは容易ではないから、私は毎日子供たちの成長に携わる道を選びました。

私の言葉を信じ「昼休みに集合して皆で練習しよう!」と声を掛け合い自主的に合同稽古をする生徒がいることを知り、私は私に対し言葉をかけてくれた先生方の想いも私の両親の想いも活かされ子供たちの心に届いていると実感するのです。弱っていたり迷っている人に寄り添う勇気と優しさや、どんなに相手から煙たがられても道を踏み外しそうになっている者がいたら声をかけ引き戻そうと努力する強さが、この国をもっともっと優しい国に成せることだと想っています。

The passion I had in my boyhood is still burning.

日曜日の百合ヶ丘空手道クラブの稽古風景
土曜日の武舞劇団save校の稽古風景
金曜日の千歳校の稽古風景
生徒から頼まれ自主稽古用動画を作るため、水曜日の早朝に多摩川で撮影した稽古風景
火曜日と木曜日の経堂校の稽古風景
月曜日の私立小学校の稽古風景

5月最後の週末は

2023年5月28日(金)
和道流成武支部千歳校成人の部にてニーセーシの分解・解析稽古。筋力に頼らず相手の力との繋がり、力の流れの方向を意識し相手の体勢を崩せる動きを目指しました。
2023年5月29日(土)
武舞劇団save校にて演武に向け通し稽古。身体が自然に動くまで繰り返しました。
2023年5月28日(日)
和道流空手道連盟総本部道場にて三代宗家 大塚博紀 最高師範による月例稽古に参加させて頂きました。

「突きや蹴りに対してだけでなく、掴まれたら?短刀だったら?長刀だったら?座っていたら?複数だったら?」と考え、「この形のこの技や動きだったらこう活用出来るのでは?」と想像し、女性と男性が、子どもと大人が、筋力のある者とない者とが実際に手足を取り合い、組み合い試す日々を送っています。
そんな実験には正解と間違いがあり、その正解と間違いを明らかに出来る機会が、和道流空手道連盟総本部道場にて三代宗家 大塚博紀 最高師範による月例稽古です。昨日参加させて頂き、ニーセーシに関して掌底の角度、小手返しや手取りの位置、足刀の高さ、上がる力と前に出る力の作用や、ワンシュウに関して左右構えを素早く変えるための重心や、ジッテに関して左右への後屈の立ち方、クーシャンクーに関して外腕受け流しなど、多くの質問に対し、最高師範は一つ一つ実演し丁寧に解説して下さいました。私は明らかになった私の間違いを認識することが出来、早速道場で生徒たちと共有たいと想います。

We will continue to walk step by step towards peace. ”Pinan Shodan”

私が空手道の講師を務めさせて頂いている4つの団体の幼児から小学生を対象に、Bumb東京スポーツ文化館で6月18日(日)に開催する第1回4団体交流競技会の出場申込受付を昨日終了し、形競技団体戦に6チーム、組手競技団体戦に4チームがエントリーしてくれました。形競技と組手競技の個人戦もあり延べ90名の選手たちが有意義な時間を過ごし貴重な経験が出来るよう準備しています。

私も8ヶ月ぶりに演武をすることにしました。扇子の舞や日本刀での試し斬り、掌底で瓦割りや貫手で板割り、形と組手を披露し、子供たちが普段見ることのないものに触れ、心や体が震える機会にしたいと思います。

Sports Karate is not Budo, but it is one of the various advantaes in Budo Karate.

来月18日にBumb東京スポーツ文化館で開催する4団体交流競技会に向け連休中も稽古の日々でした。
休日を家族で旅行し楽しむ子も、道場で汗を流し楽しむ子も有意義な時間を過ごしたことでしょう。

競技空手を私は武道とは思わず空手道の長所の1つと考えています。その長所を伸ばすなら日本武道の身体動作である円転を意識し取り組むようにしています。道場には幼児と小学生と中学生そして大人がおり全員が一緒の時間を過ごします。

私にとっての有意義とは、皆で武道の魅力を共感・共有することであり、私の長所は”私にとっての有意義”を実現するため起床してから就寝するまで想像力と創造力と体力を費やせることです。どんなに考えても浮かばないこともありますが、就寝すると夢の中で武道の達人たちが助言して下さる時があり、それは真に特別な経験です。

We should harmonize with each other, and explore the path of peace.

雨天だった昨日とは一転し今朝は快晴。

水と陽の光を得た美しい木々たちが喜んでいるように見えました。

植物が出す酸素によって呼吸が出来、生かされている私は、自分の武道が人を傷つけのではなく心を生かし、互いに調和が出来て心の平安を抱ける瞬間を作って行きたいと想っています。

和道流空手道連盟三代宗家 大塚博紀 最高師範による形審判講習会

本日は、和道流空手道連盟の三代宗家 大塚博紀 最高師範による形審判講習会が開催されました。
最高師範が資料を作って下さり、座学と実技が行われました。
頭では理解出来ても身体では表現出来なかったり、頭で理解出来ず身体でも表現出来なかったり、身体では表現出来るが言葉では表現出来なかったりと、人と人、頭と身体だけでなく”身体と言葉”と、ここでも”繋がり”がいかに大切か、強く感じながら楽しく夢中になって取り組みました。
70名ほどの受講者が6グループに分かれ、技術審議員の先生からも教わる機会を与えられ、受講者が互いに肩を披露したり意見を交換するなど大変有意義な稽古が出来ました!
最高師範をはじめ技術審議員の先生方が我々支部長を思い、私たちが自分の道場生徒たちに正しい和道流を伝えると信じてくれて、直接指導してくれて、私たちと繋がりを持って下さることがたまらなく嬉しいです。年が明けてから2月4日に全国指導者講習会、3月12日に技術講習会、そして本日の形審判講習会が開催され、来月からは総本部道場で毎月1度三段位以上を対象にした月例稽古を再開して下さることになりました!
最高師範と技術審議員の先生方が「昔の和道流の組手が戻って来た。」と喜んでもらうため、基本・形・基本組手の表と裏・居取り・短刀取り・太刀取り・女子護身術そして組手と、正しい稽古を続けて参ります!!
和道流最幸!!!

Knife Defense 短刀取り

先日開催された和道流空手道連盟の講習会で三代宗家 大塚博紀 最高師範が「ヨーロッパで和道流を稽古している人々は、基本や形、組手だけでなく”居取り”や”短刀取り”、”太刀取り”、”女子護身術”も稽古している。」と話して下さり、私は2000年に修行のために生活を始めたアメリカでの経験を思い出しました。
私は夜ゴミを出しに出ただけなのに、仕事中に厨房へキュウリを取りに来ただけなのに、仕事帰りにジョギングしていただけなのに、理由も無く突然襲われたことがあります。今、大きな怪我や後遺症もなく生きていられるのは、渡米前に「お前にワシの全てを教えるから、身につけて海を渡れ。」と師匠の瀬田松弘昌先生が形や基本組手だけでなく、短刀取りや居取りを教えてくれたからだと実感しています。
上記の、夜ゴミを出した時の戦いでは居取りの”撞木捕り”が役立ち、厨房での戦いでは短刀取りの”雲我捕り”と基本技の”上段受け”が役立ちました。

相手に怪我を負わせず、自分も死なずに治めることが出来たのは、「死んでたまるか。」という強い意志と共に、実戦を想定し繰り返し稽古したことで和道流の技や動きを活かせたからだと思います。

当時の友人は武道や格闘技の稽古をする者が多く、一緒にビリヤードやダーツで遊んでいても、お酒を飲み話していても、必ず途中または最後は「(ビリヤード中ならキューを見て)これでこう来たらお前ならどうする?」となったり、「(お酒を飲んでいて瓶が割れたら)これでこう来たらどう対処する?」となったり、射撃に連れて行ってもらうと「(もちろん実弾を完全に抜いた状態で)どれくらいの間合いなら当たらないと思う?突き付けられたどうする?」となりました。彼らは「この国じゃ、素手で襲うヤツなんていない。ナイフや銃を使う。だから常にそのことを考えて備えないとな。」という言葉を私は今も日本にいても無くさずに稽古をしています。

川は流れ大海へと繋がるように、和の心も精神も途切れることなく過去から現在そして未来へと繋がって行く。

先々週の土曜日に道場でサイの稽古をした時に息子に対して、「10歳になり成長した体に対してサイの大きさが合わなくなった。そろそろ替える頃だな。」と思いました。その二日後に突然贈り物が届き、開けてみると美しいサイが入っていました!
International Karate Federation Hawaiiの小高寛子先生が贈って下さり、息子は驚きとても喜びました♪ 寛子先生、真にありがとうございます!
感謝の気持ちを届けたく、優しく流れる川のそばで快晴の空の下親子で稽古をしました。
美しい川は流れ大海へと繋がるように、和の心と精神が過去から現在そして未来へ途切れることなく繋がって行くよう、正義・勇気・敢為・堅忍・仁・惻隠・礼儀・誠実・真実・名誉の心を鍛え続け、寛子先生のように子供たちに対し真剣に向き合い真心をもって接して参ります。