夫婦手 ”MEOTODE”

30年前、高校生だった私に出稽古をさせてくれた大学空手道部の同窓会の翌日は、和道流空手道連盟百合ヶ丘空手道クラブ支部の昇級審査でした。
このクラブへ私が出稽古を始めたのも同じく30年前で、現支部長から指導を私が引き継いだのは17年前になります。
引き継いだばかりの頃は子供が少なく、私を含む大人たちが毎週日曜日に集まり4時間熱心に稽古していました。
合宿をしたり、大会に出場したり、海外へ遠征したりしているうちに徐々に子供たちが増え始め、コロナ禍で再び減ったりを繰り返しながらも活動を続けて現在に至ります。
17年間で今の百合ヶ丘空手道クラブが私は1番好きです。”武道精神”を共有出来るクラブ生たちとならより良い環境が作れるし、良い稽古が続けられます。
人から引き継いだ大切なものは決して失くさず大切に扱い、引き継いだ時より良いものにして私が信頼出来る方に手渡したい。
その想いを抱き続けこれからも百合ヶ丘空手道クラブ支部を成長させて行きたいと願っています。

【待ち手と懸け手】’’後先の手’’ ’’先先の先手’’ ’’先手’’ 「勝負は常にこの三つによって極まる」

和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P26 ≪待ち手と懸け手≫
勝負には待ち手と懸け手とがある。待ち手は相手が先手に出た場合に対応する手で、懸けはこちらからしかけるのである。待ち手には「後先の手」と「先先の先手」の二つがある。懸け手は先手である。勝負は常にこの三つによって極まるのである。後先の手は相手の攻撃を防禦すると同時に攻撃するので防禦即攻撃である。先先の先手は敵が先手に攻撃に移らんとしたその起りに先んじてこれを封じると同時に先手に出で攻撃する。俗に云う出鼻を挫くのである。やはり防禦即攻撃である。防禦と攻撃が別々になると常に防興に追い込まれる。攻撃は最大の防禦であることを忘れてはならぬ。先手は相手の隙をとらえて、あるいは隙を作って先手に出て攻撃するのである。相手もまた当方よりの攻撃に対し後先の手または先先の先手に出るから、それに懸からぬように裏の裏を読まなければならない。即ちかけ引きであると共に気合と間合が大切なのである。

「洗心」は武道鍛錬の一つの目的

誰にでも想定外の出来事に遭遇したり、思いもよらぬ経験をして意識が変わったことがあると思います。
私の場合は、暴漢に襲われ格闘の末に上段受けで相手を抑えこむことが出来た事により、上段受けに対する考え方が変わり、私にとって重要な技の一つとなったことです。
2003年5月、私はアメリカにある日本料理店で板前として寿司を握っていました。土曜日の夜だったので店は忙しく、カウンターやテーブル、座敷で美味しい寿司を待つ客人のため、私も張り切って包丁さばきを披露していました。かっぱ巻きの注文が入り、私が寿司バーから厨房に「キュウリを一本下さい。」とお願いするも返事がありません。普段なら元気良く「はい♪」と返事があるので不思議に思い、私は自分で厨房へキュウリを取りに向かいました。すると、忙しく働いているはずの皿洗い係や配膳係たちが黙って直立しているのです。私は「忙しいのに、皆んな何をしているんだよ?」と言って近づくと、屈強な体をした見知らぬ男が従業員の胸ぐらを掴んでいるのです。私は男に対し「何をしているんだ!?」と言うと男は「隣のバーで気持ち良く飲んでいたらオーナーが俺を追い出しやがった。あの野郎を刺してやりたいから、刺身ナイフを貸せ!」と言うのです。私は「なるほどね、はい、これ刺身ナイフ。」と貸す訳はなく、私は「何を言ってるんだ?貸せる訳ないだろ!」と言った直後、男は私に右フックを出して来ました。私が咄嗟に左手で捌くと、男は積まれていた湯呑みコップの棚に激突しました。私は心配になり男に近づいた瞬間、男は私の両足を掴み私を引き倒しました。仰向けの状態の私を目掛けて男は上から踏みつけてきました。私はすぐ起き上がりたかったのですが、厨房の床が油で滑り易くすぐには立ち上がれません。踏み続ける男が疲れた顔を見せたので、私が起き上がろうとした瞬間、男の肘打ちが私の首に振り落ちて来ました。一瞬、私は意識がなくなりかけたのですが、男の背中にある壁には中華包丁が並んでいたので、私は男に気づかせてはならないと踏ん張り、男の喉に左前腕を押し当て冷蔵庫と冷蔵庫の間にある隙間へ男を押し下がらせました。力が強い男は暴れ、左手で私の髪をむしり、右手で私の頭を叩き続けました。私は店のオーナーから「絶対にケンカするなよ、相手に怪我を負わすなよ。」と言われていたので、突きや蹴りは使わず左腕を男の喉に押し当て、上段受けの構えをし続けました。男が呼吸困難にならない程度に力を抑えたり入れたりを7分間続けていると、店のヘッドシェフが通報して呼んだ警官2人が入って来ました。私はこの警官たちがどんな逮捕術で男を制圧するのか期待しました。次の瞬間、大きな体の警官が小さなポケットから取り出した小さな催涙スプレーを男の目に噴射しました。7分以上私と格闘した男はあっけなく床に倒れ悶絶し始めました。それを見た瞬間、私は決意しました。「これを買って帰ろう…」と。
私が帰宅すると、ユニフォームは破れ、髪は乱れ、顔中擦り傷だらけの私を見た妻は言いました。「仕事だったんだよね?レストランにいたんだよね?え?今夜は格闘技の試合があったの?」
妻の冗談に私はウケませんでしたが、上段受けにより私は私自身を護ることが出来たことに大きな喜びを感じました。「空手道を続けていて良かった!」と叫びながらシャワーを浴びた日のことを鮮明に覚えています。

気構え、心構え

集合時間の10分前には道場に来て自分で体操し自主稽古に励む生徒がいれば、電車に乗り遅れたことが理由で稽古に遅刻する生徒がいたり、昨日その生徒に対し私が「君が時間を守ることの意味」を説いたり「君が電車に乗り遅れないための方法」を提案しても今日の稽古に同じ理由で遅刻する生徒がいたり、グループ分けをして行う稽古の内容を説明している時によそ見をする生徒がいたり、その生徒に対し「君が相手の目を見て話を訊く意味」を説くも直後には違うグループの中に入っていく生徒がいたり、私の様に口うるさい者の前で「ああ、立つの疲れたぁ…」と言って寝転がってしまう生徒に対し私が「ここは君の家のリビングじゃないんだよ。君の家では許されていても、外で同じことをしたら君が恥を知る」ことを説くもその最中に眠り始めてしまう生徒など、道場には様々な子供がいます。
私が小学生の頃に同じことをすれば親や学校と道場の先生から鉄拳が飛んできました。私は殴られて痛くて恥ずかしいから2度と同じことをしなくなりました。でも殴られる度に私は「なんで言葉で教えてくれないんだろう」と思い続けていました。同時に私は「俺の道場を持ったら俺は言葉で説明するぞ。だって俺は人の話を訊く耳を持っているだ。」と決意しました。
だから私は子供を決して殴ったりしません。ただし生徒が私に3度同じことを注意させた場合、私はお説教をすることにしています。必ず20分間します。すると子供でもだんだん分かってきます。「私は人に迷惑をかけている」、「私はこんな時間を過ごすのは嫌だ」と彼らの考え方や気持ちに変化が生まれてくるのを見て来ました。
私が絶対にしないと決めていることは「この子に言っても無駄だ」、「この子を無視しよう」と見限ったり、見放したり、差別することです。
私の親と師匠と和道流が私を見限らず、見放さず、差別せずに育ててくれた恩を忘れず、「今は私がする番だ」という想いを抱いて稽古に臨む。
それが私の気構え、心構えです。