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11月も早朝から気持ち良く過ごせるよう理技探求を続け、意味ある運動、鍛錬、稽古をしたいと思います。 今朝の運動を終え、奉納演武として明治神宮の西参道芝地で行われている日本古武道振興会による『日本古武道大会』を今から観覧して来ます。
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昨日10月31日(火)は、普段の道場稽古とは雰囲気や内容を変え、「ハロウィン稽古』として行いました。幼児や小学1、2年生の低学年の子たちが楽しんでくれて喜んでくれて、また小学5年生や中学生の高学年の子たちが手伝ってくれて頼りになり私も嬉しかったです。
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「和道流の熟練組手が復活した!」と叫び、皆で喜びを分かち合える日を夢見て、見つけることが出来た本当に欲しかった宝物を私たちは磨き続けます。そしてその価値を共有し分かち合い、さらにより良く出来る道を開拓して行くことが出来れば、それは素晴らしいことだと想っています。 宝物を見つけるには地図を広げ様々な困難に立ち向かい、途中で何かを失ったり、挫折しそうになりながら、自分だけではなく関わる人々の力を得て目的地に辿り着き見つけることが出来るものだと思います。見つけた物が想像とは大きく違ったとしても、その瞬間までにしてきた経験や積み重ねた努力、人の優しさや厳しさ、命の尊さや儚さに触れ価値を知ることは、目の前にある宝物とは比べ物にならないくらい掛け替えの無い存在になるのではないでしょうか。そのかけがえのない存在を忘れぬため、手に入れた宝物を磨き続け、そこに映る自分の姿を見つめ向き合い「宝探しに発つ前と、最中と、見つけた時の想い」を今、私は失っていないかと自問自答出来ることこそが宝物だと私は考えています。 和道流空手道連盟 三代宗家 大塚博紀 最高師範が2016年に日本へ帰国して下さり、私たちは今まで以上により良い正しい和道流の稽古法を授かることが出来ました。 外面的表面的部分に意識が行きがちだった基本に関して、腰の捻りや胸椎の回旋を生むために先ず何をすべきかなど、内面部分を強く意識し自分の身体と深く向き合う変化が生まれました。 形に関しては突きや蹴りに対してだけでなく、掴まれたり刃で攻められた場合でも、形一つひとつの一挙手一投足には攻撃に対応出来る動きや技が秘められていることや、組手に活かす剣術、柔術の体捌きなどの特長を形からも強烈に感じるようになりました。 そして組手は、基本組手の裏を開示して下さったことです。これにより何故基本を行うのか、基本をどう応用するかが明確になり、形に反映させることも出来たりと、柔術、剣術の特長を取り入れ技の合理性を追求出来るのは勿論、稽古法をはじめ普段の生活や人との関わり方にも応用出来るようになりました。生き方が楽になりました。 和道流という鏡に映る自分の姿と向き合い「宝探しに発つ前と、最中と、見つけた時の想い」を失うことなく、私は「無理なく、無駄なく、合理的な技」について自問自答できる宝物を磨き続け、「和道流の熟練組手が復活した!」と叫び、皆で喜びを分かち合える日を実現します。
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「古(いにしへ)を稽(かむがへ)る。」 「技の習得と共に自己の内面を研鑽し高める道程」と捉える『稽古』という言葉も、そして毎日稽古することが私は好きです。古を稽え想像することを繰り返していると、ある日突然天から降って来たかのように閃く瞬間があったり、夢の中での教えを受ける軌跡が訪れるからです。
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美しい日の出、また太陽が上がって行く光景を見ていると、意気も志も高く上げて行きたくなります。空を飛ぶことは出来ないので、大木や鉄棒や登り綱をしっかり握り、今日も全身の力で力強く自分を引き上げて行きたいと思います。
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重症には至らなかったとはいえ自転車走行者の交通違反により歩行中に怪我を負った道場生を想い、「危機的状況に陥った場合に備え、受け身も重要」ということから今朝は受け身の練習を行いました。「受け身を学んだのなら投げも必要」ということで、突きに対して・手首を掴まれた場合・蹴りに対して・刃物に対しての防御から投げ技に繋げました。普段とは違う内容だったこともあり、皆積極的に取り組み、最後は「楽しかった!」と言ってくれました♪
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毎日、形をうっていて抱く『掛け受けの使い方』について。 ピンアン四段やチントウ、ニーセーシ、ジッテ、バッサイと様々な形の中で出で来るこの『掛け受け』は、そのほとんどが蹴りの前後に行っていると思いました。 蹴りは遠距離から放つべきではないから、相手の攻撃に対して掛け受けを日本刀の様に『乗る、突く、斬る』をし、「相手の体勢を崩して間合いを詰め蹴りに繋げるのではないか?」という発想から、突きに対しての使い方や掴まれた場合などを想定し、昨夜は皆で色々試しました。
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木曜日の夕方は9歳と11歳を対象にしたクラスから始まり、夜は4歳〜8歳、10歳と中学生を対象にしたクラスで稽古しています。 昨夜は「普段出来ない運動を紹介しよう!」と思い、小学校の体育館の天井から吊るされている昇り綱を脚を使わず昇る姿を見せました。すると「消防車の人みたい!」と大喜びしたので私は彼らに「消防車の人はどうして昇るの?」と尋ねました。4歳の女児が「火がついてるお家で熱い!熱い!って言ってる人を助けるの。」と応えました。続けて私は「他にも誰かを助けるために働いてる人は誰かな?」と尋ねると彼らは「救急車の人!」「パトカーの人!」と応えました。私はもう一つ彼らに「皆んなはどうして空手を習ってるの?」と質問しました。すると彼らは「イジワルされて泣いてる子を助けてあげる」「ママを守る」「強くなるため」と応えました。 「守られるだけでなく、大切なものを守ることが出来る人間になるため稽古する!」という彼らの動機が彼ら自身を奮い立たせ、私の心も動かしてくれました。
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市販の木人椿は、高さが170cmと私より低く手足が固定されているため、「自分より大きくて重く手足が可動する木人椿が欲しい」という想いから自作することを決めました。 初めて作ったのは2000年でアメリカでの生活を始めた22歳の時でした。半年が経ちお金が貯まり小さなアパートの一室を借りて一人暮らしを始め、カーテンや洗濯機を買うよりも先に取り組んだのが木人椿作りでした。 大学の庭に切り倒されたまま放置されていた180cmの丸太を許可を得て回収し、車を持っていなかった私は市営バスを頼ることにしました。運転手に「私と…もう1人分払うから”彼も”一緒に乗せて下さい!」と告げると、運転手は「そんなデカい丸太!何する気だい?!」と言うので、「空手のトレーニングの相棒を作りたいんだ!」と言ったら、彼は「あっ!ジャッキーチェンだろ!映画Rumble in The Bronxで観たよ!ダダダダダのアレだろ♪」と大ハシャギを始めました。次の瞬間、「さあっ、乗れ!家のそばまで”二人を”運んでやる♪」と彼は快く受け入れてくれました。 時間と手間をかけ気持ちを込めて作り、(Tomodachi Of My Imaginationの略で)TOMIと名付け大切に扱ったから、壊れることなく3年間彼と向き合い様々なトレーニングを考え試し過ごすことが出来ました。 日本に帰国する時は空手仲間のマイクが「トミ!大事にするから、TOMIを俺にくれ!!」と言われ、私は快くマイクにTOMIを託しました。 生まれ変わり我が家にいるTOMIは23年前と同じように、毎日私の相手を務めてくれています。
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今朝、我が子たちの登校を見送った後にふと思い出しました。 私は小学生の頃、「『親』という字には木の上に立って見るくらい大きな存在という想いが込められている」と習いました。 我が子を授かり生徒を持つようになった今は、『親』という字に込められている「木の上に立って子供の登校する姿を見送り、下校し帰宅する姿を見守り待つ」という想いに心を動かされています。 経験を重ねた大人の見方があれば、純粋な子供の見方もあるのだから、私は自分の思考を固定したり姿や形そして意味を相手に押し付けたりせず、私とは違う発想や表現にこれからも心を動かし続けていきたいと思った朝でした。