《タカブンのおじちゃん》
6歳の頃、3歳の弟を連れ初めて2人で近所の駄菓子屋へ買いに行った時の思い出。
途中に、異常なほど長いリードに繋がれたドーベルマンがおり、剥き出しの牙で噛まれるのではないかとヒヤヒヤしながら弟の手を引き全速力で走り抜けました。駄菓子屋に着くと気が抜け2人で大泣きしてしまいました。すると店主が「コラ!男2人が何を泣いているんだ!」と叱って来ました。ビックリし泣きながら「大きな犬が怖かった!帰りもいるんだ!!」と伝えると、「お菓子を買いに来たんだろ!泣くのをやめて選びなさい!」とまた叱られました。弟と2人でお菓子を選んでいると気持ちが落ち着き支払いを済ませると、「これ、御守りの代わり。弟の手をしっかり握り、勇気を持って帰りなさい。」と、店主がオレンジ色のラムネを1つずつくれました。お礼を述べ外に出た時、「泣くもんか。僕はお兄ちゃんだから弟を守る!」と気を引き締め、弟の手を握りドーベルマンの前へ。また牙を剥き出しにして吠えて来ました。私は、「ワンワンワンワン!!!」吠え返し、ドーベルマンがキョトンとした瞬間に、弟の手を引きまた全速力で走り抜けました。帰宅すると弟が言いました。「あんちゃんが犬みたいだったじゃん♪」。
2人で笑いながらオレンジ色のラムネを食べました♪
《大川さん》
9歳の頃、両親の夫婦喧嘩が増え、見ていたくない私は弟と2人で外に出て終わるのを待つ日がありました。
10月の寒い金曜の夜で2人でくっついて座っていると、異変を感じた隣家の奥さんが、「凍えちゃうよ。中にお入り。」と迎えてくれました。暖かいリビングに立つと、家族4人がお揃いのパジャマを着て私たち2人に優しく声をかけてくれました。「すぐ終わさ大丈夫。一緒に映画でも見てようよ♪」と、その日初めてテレビ放映された『インディジョーンズ魔宮の伝説』を一緒に観させてもらいました。沢山の囚われた子供たちを解放するため立ち向かう考古学者のアドベンチャー映画に、両親が口論していることなんか忘れ興奮しました。
暫くして玄関のベルが鳴り、母親が迎えに来ました。「ご迷惑をおかけし申し訳ございません。息子たちがお世話になりました。」「ごめんね。」と、隣家のご家族と私たち2人に詫びた母と一緒にお礼を述べ帰宅しました。
この日だけでなく弟が迷子になった時も一緒に探し回って見つけてくれた大川さん。私にとってのインディジョーンズです。
《校長先生》
卒業を控えた小学6年生の時、何か思い出を作りたいと男女友達4人で「焼き芋作ろう!」となりました。近所の小さな商店街でサツマイモとマッチを買い、お寺の境内で落ち葉を集め焚火しサツマイモを入れました。暖かいし、綺麗な炎を見つめていると小さな感動を覚えました。突然、背後から「お前たち!何をしているんだ!」と怒鳴り声がし、振り返るとそこには校長先生と副校長先生が立っていました。焚火をしている私たちを見た住職が学校に通報し、電話に出た副校長先生が校長先生に報告し2人で来ました。私たちを恐い顔で睨みつける住職と副校長先生、『保護者なく勝手にお寺の境内で焚火をしたこと』、『火は生き物で扱い方を誤ると大変危険』であることを私たちに真剣に説いてくれた校長先生。「この続きは学校に戻ってからする!」と、先生方と一緒に深々と頭を下げ住職にお詫びし、境内を出ました。私は「なんてことをしてしまったんだ!何も悪くない校長先生たちに謝らせてしまった!」と猛省し、校長室に着きました。「親に報告され、父親から殴られる…」と私は不安でいっぱいでしたが、自分がしたことを考え覚悟しました。すると校長先生が「次、焚火する時は校長先生も仲間に入れてくれよな。一緒にやろう♪」と、おとがめはありませんでした。「約束だぞ。」と手を差し出し握手までしてくれました。その日私には住職ではなく、校長先生が仏様に見えました。
一人の子供の成長に関わる全ての大人が一丸となり育てようとしてくれた時代がありました。
”国民の平和および世界各国の共存繁栄”という願いが込められた昭和。
無くなってしまったのではなく、忘れてしまっているだけなら皆んなで思い出し再び築き上げて行きたい。
途絶えることなく伝承され続けている武道を通じて、私は自分がされた良いことは正しいと信じ、子供たちを真剣に叱り、真の想いで褒めて心と精神を健やかに成長させたいと思っています。