武の本義が平和にあることは過去も現在も未来も一貫して不変

昨日の撮影の投稿を見て頂き、またシェアして下さりありがとうございました。
和道流空手道・柔術拳法 三代宗家 大塚博紀 最高師範のDVD 『和道流の平安二段(仮題)』発売のお知らせを多くの人々に喜んで頂けて私も嬉しいです。
来月末には三代宗家 大塚博紀 最高師範の初の著書『武術を究める!和道流空手道 “柔術・剣術の理で磨かれた独創的な空手” (仮題)』も発売されます。

三代宗家 大塚博紀 最高師範DVD『和道流の平安二段』2024年5月下旬発売

2024年3月10日、和道流空手道・柔術拳法 総本部道場にて撮影が行われました。
三代宗家 大塚博紀 最高師範による『和道流の平安二段(仮題)』のDVDが2024年5月下旬に発売されます。

和道流では全ての動きの基礎となっている平安ニ段

和道流式深層筋運動と共に平安二段の全挙動を解説

第1挙動から第2挙動の移行の解説では柔術的応用技、空手的応用技、剣術的応用技を紹介

購入申込方法や問い合わせ先等は改めて投稿致します。

文武両道は鳥の両翼の如く不離不即

昨夜と今朝は生徒たちから嬉しい報告がありました。
昨夜は、高校入学試験の勉強に励むため2ヶ月間稽古を休んでいた中学生の生徒が志望校への入学試験合格の報告と共に道場へ戻って来ました。
今朝は10歳の女生徒が「私が将来になりたい職業は警察官です。そのために私は空手道の稽古をしています。」と後輩たちの前で彼女の想いを話してくれました。
夢と希望を抱く子供たちの未来が明るく輝くように、私も微力ながら携わって行きたいです。


和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P7 ≪文武両道は不離不即》
平和招来という難事は到底武道精神のみのよくなすところではない。一体,真の平和というのはどうあるべきことだろうか。またどうすればこれを招来することができるだろうかとなると私など凡人の頭では皆目見当もつかない。政治,経済,科学,教育,宗教,倫理、哲学,芸術等あらゆる分野との連係がある。全ての分野の勝れた智識の総合力がこれを解決する以外に方法はないのではなかろうか。然し如何に勝れた解決策がよし立てられたとしても方策だけでは平和はこない。これを実行にうつして不可能に近い困難な平和を招来するには、その推進力となる強大な力が必要である。即ち決行力である。武道の精神とするところはこの平和推進の決行力である。正しきに向っては如何なる困難にもめげずこれを乗り越えて断行する実行力である。だが単なる断行力に走る時は危険に陥る恐れがある。勝れた智識のもとに高い理想と正しい自主性と合理性とをもって断行せねばならないことは皆然である。また勝れた智識は、高度の学間によってこれを求めなければならない。また文の力によって得た勝れた智識を十二分に活用せしむるものは、勝れた武道精神の力である。勝れた武道精神を正しくより効率的に発揮せしむるものは高度な文の力である。如何に勝れた文武の力でも一方に偏する時は思想を混乱せしめ秩序を接乱してその害はかり知れぬものがある。
文武両道は車の両輪、鳥の両翼の如く不離不即である。

武道精神は現代人にも必要

私は子供たちに「君たちは何故、空手道の稽古を始めたの?」「君たちは何のために道場へ通い続けているの?」と問いかけました。すると子供たちは間髪入れずに「暴力から自分の身や家族や友達を護るため。」「大切にしているものを壊されないように、奪われないように防ぐため。」「酷い言葉を投げかけられても気持ちを悪くしないように、心を黒くしないように鍛えるため。」と述べました。
私はもう一つ質問しました。「次は暴力を振るう者、大切なものを壊そうとしたり奪おうとする者、酷い言葉を投げ掛けてくる者たちのこと考えてみよう。この者たちは君たちに歯が立たないと分かれば、標的を変えるかもしれない。君たちの分からない場所で苦しみ、悩む人を生み続けるかもしれない。どうすれば苦しむ人や悩む人を生まないよう防ぐことが出来るのかな?」
子供たちは熟考するも考えや想いが定まらない様子でした。だから私は提案しました。「目の前にいる暴力を振るう者、大切なものを壊そうとしたり奪おうとする者、酷い言葉を投げ掛けてくる者たちを捩じ伏せるのではなく、”もうこんなことやめようよ。一緒に一人でも多くの人を助けられる人間を目指そう。きっと君は自分のことが好きになれるし、君のことを好きになる人も現れる。そうやって皆んなが幸せを感じられる世界を目指そう。”って言って寄り添ってみるのはどうだろうか。」
「”そんなの無理だ!出来っこない!歴史も見ても人間は戦争をやめないじゃないか!” って言われても諦めず、絶望せずに続ける努力は精神を鍛えてくれる。私はそれが武道精神だと思う。」と伝えました。
話をする前は引き手が緩んでいたり、注意散漫だった子が胸を張り大きく発声し稽古に励んでいました。
言葉の持つ力を信じ、これからも子供たちと言葉を重ね、互いの想いを共有して信頼を強固にして行きたいです。


和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P7 ≪武道精神は現代人にも必要か》
武道精神というと何んとなく時代に逆行した封建的精神のように感じとられ勝ちであることは真に遺憾である。それは前述の如く封建時代において一権力者のためにのみこの勝れた立派な精神を利用され、また無智がそうさせたために一般大衆は永い間窮地に閉じ込められてしまった。それが戦後急変して民主主義国家として開放され自由を獲得した反動がそう感じさせるのは無理からぬことである。武の道は前述の通り平和な社会を建設して、人類相互の生活を向上させるにあるのだから、いつの時代でも必要欠くべからざるものであり、この道を決行する人間の精神力即ち武道精神はいつの時代でも必要である。殊に通信、交通機関の異常な発達は国と国との距離を短縮し、為に摩擦を生じがちになり、また高度の科学進歩は相互に疑心暗鬼を抱かしめて反目し合うようになった。平和促進は時代の進展にともないかえって困難さを増すのではなかろうかとさえ考えられる。
従って今後は尚いっそう武道精神を必要とするだろう。要はこれを正しく適切に用いることが肝要なのである。

武道精神とは

和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P5 ≪武道精神とは何か》
武の根本義である平和は口にはいい易いがこれを現実に人類社会にもたらすことは容易な業ではない。過去の歴史をひもとくまでもなく現在の国際情勢をみる時、あるいは不可能事ではないかとさえ思われるのである。然しそれが如何に困難であろうともこの平和を人類社会に招来しない限りわれわれ人間の生活は決して幸福にはなりえない。如何に困難であろうが、よし不可能事であろうが、是が非でも平和を勝ちとらねばならないのである。そしてこれを招来するものは神の力でもなければ仏の利益でもない。それはわれわれ人間の力によってのみなしうるのである。社会機構の単純だった時代でさえ困難であった平和促進は複雑極まりない然も空前な科学の進歩をみた現在の国際情勢下にある人類社会においては尚更容易なことではない。この不可能に近い武道理念を実現するためにはわれわれ人間に異状な精神力を必要とするのである。この異状な精神力こそ武道精神なのである。武道精神は人類社会に平和と幸福をもたらすための強力な原動力となるものである。この目的達成のため如何なる難事といえどもこれに屈せずその難関を乗越え目的の貫徹を断行しなければ止まない厳しい精神が武道精神である。

武技の鍛錬の目的は、『武道精神』の練磨

昨日の投稿の冒頭に書いた『小学生が同級生に対して数年間、詐欺と恐喝行為をしていたという事件』について、昨日の午後のクラスで7歳と8歳の子供たちを対象に話し合ってみました。
私は子供たちに「’’何が’’悪いことかな?」と尋ねると、数名の生徒が挙手し「人を騙すこと、お金を取ること」と述べました。
私が「加害者も被害者も君たちと同じ小学生です。どうしてこんなことをしたと思う?」と尋ねると、子供たちは「人を騙すこととか、お金を取ることは悪いことだって習ってないんだと思う。」と述べました。私は続けて「習ってないことを教えるのは誰かな?」と尋ねると、「お父さんとか、お母さんとか、学校の先生とか、冨髙先生とか。」と子供たちは答えました。
「自分が怪我を負わないため、人に怪我を負わせないため、自分が事故や事件に巻き込まれないため、人を事故や事件に巻き込まないため、自分が病気にならず、人に病気をうつさないために予防したり備えることの重要性を教えて方法を工夫する機会を作るのが私たち大人であり、習い学ぶのが君たち子供です。」「私たち大人は君たちに教えたからもう大丈夫かな?君たちは私たち大人から習ったからもう大丈夫かな?」と尋ねると子供たちは長く黙り考えた後に挙手しました。「習っても忘れちゃうことがあるから、時々、誰かに言ってもらったほうが良いと思う。友達がダメだよって言ってくれたら思い出せるから。」と子供たちは述べました。
「自分のことを気にかけてくれる人を大切にしよう。そして自分も周りの人を気にかけてみよう。私たちは一人で生きていない。誰かの努力や優しさや創造した物に触れ心を動かされて’’よし!頑張ろう!’’と自分を鼓舞して生きています。少しずつ人のために、次に自国のために、そして世界の平和のために出来ることを考え見つけて自分の言動を役立てて行こう。」と伝え稽古を始めました。
一人の子供の身近にいる全ての大人が少しでも成長に携わろうと「寄り添う努力」は、まだ幼い子供たちの心を「健やかに成長させることが出来る」と信じて私も努めて行きます。

『技はすなわち精神の表現された技でなければならない。精神の表現された技を鍛錬することによって根本の精神を修養する。』

今朝のニュースでは胸を傷めました。加害者が小学生で同級生に対して数年間、詐欺と恐喝行為をしていたという事件。
私が毎朝運動する中で考えるのは「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念の意義を子供たちが理解し育むため、今日の道場稽古でどのように教えるか」
道場に通う生徒は幼児、小学生、中学生、大学生、社会人など年齢が異なり体力にも差があり、運動が得意な子や不得意な子がいたり、稽古に集中出来る子がいれば散漫な子もいます。各家庭の教育には違いがあるので価値観が大きく異なることを感じる時があります。そんな中で、「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念の意義を子供たちが理解し育む」という目標は、私1人で達成出来ることではなく、生徒たちと一緒に協力し合えた時にのみ成し遂げられるものです。
だから先ずは言葉で伝え、次に身体を動かして見せて伝え、手を取り足を取り触れ合って伝え、子供たちが自分の想いや考えを述べられる機会を作り、互いの気持ちを通わせる努力をする。自分以外の人間を気にかけたり興味を持つこと、自分が持つ好き嫌いの感覚や喜怒哀楽の感情が相手にもあることを子供たちが知り忘れない、そんな時間の積み重ねが「仁・惻隠」、「礼儀」の心の成長に繋がると信じています。
和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範の著書『空手道 第一巻』の《道と術》の中にあるお言葉『技はすなわち精神の表現された技でなければならない。精神の表現された技を鍛錬することによって根本の精神を修養するのである。』

和道流空手道連盟 三代宗家 大塚博紀 最高師範による講習会

本日は、和道流空手道連盟神奈川県連絡協議会主宰の三代宗家 大塚博紀 最高師範による講習会を受講しました。
午前中の少年部ではピンアン初段の中で6回行う外腕受けについて2種類と順突きを稽古しました。
午後の大人の部では突きと上段受け、そしてチントウを稽古しました。特に突きと上段受け、チントウの第1〜4挙動については時間をかけて詳しく教えて頂きました。

強者が弱者を制圧するために用いるのではない

私は空手道の稽古を始めた日から「必ず組手をして稽古を終えなさい。」という師匠の教えを37年間守っています。
基本、形、基本組手、短刀取り、居取りの稽古で学んだことを自由組手で実践することで『大きな技と無駄な技』について考えたり気づくことが出来、習ったまま用いるのではなく応用する柔軟さの重要性を強く感じることが出来ます。
同時にもう一つ忘れてはならないことがあり、それは生徒が私に対して遠慮なく手加減せず打ち込んでも、私が生徒に怪我を負わせることは絶対にしないことです。
稽古を終えた後の生徒たちが汗だくでヘトヘトになっていても別れる時に「先生!汗が止まりません!だけど今から恋人とデートして来ます♪」なんて言われると人生を謳歌している生徒の幸せが私にも伝わって来ます。
和道流流祖・大塚博紀 初代宗家の著書『武の道』にお言葉がありました。
「世の中から争いをなくして平和を招来し人間の生活を幸福にするのが『武』の本義である」