武道精神は現代人にも必要

私は子供たちに「君たちは何故、空手道の稽古を始めたの?」「君たちは何のために道場へ通い続けているの?」と問いかけました。すると子供たちは間髪入れずに「暴力から自分の身や家族や友達を護るため。」「大切にしているものを壊されないように、奪われないように防ぐため。」「酷い言葉を投げかけられても気持ちを悪くしないように、心を黒くしないように鍛えるため。」と述べました。
私はもう一つ質問しました。「次は暴力を振るう者、大切なものを壊そうとしたり奪おうとする者、酷い言葉を投げ掛けてくる者たちのこと考えてみよう。この者たちは君たちに歯が立たないと分かれば、標的を変えるかもしれない。君たちの分からない場所で苦しみ、悩む人を生み続けるかもしれない。どうすれば苦しむ人や悩む人を生まないよう防ぐことが出来るのかな?」
子供たちは熟考するも考えや想いが定まらない様子でした。だから私は提案しました。「目の前にいる暴力を振るう者、大切なものを壊そうとしたり奪おうとする者、酷い言葉を投げ掛けてくる者たちを捩じ伏せるのではなく、”もうこんなことやめようよ。一緒に一人でも多くの人を助けられる人間を目指そう。きっと君は自分のことが好きになれるし、君のことを好きになる人も現れる。そうやって皆んなが幸せを感じられる世界を目指そう。”って言って寄り添ってみるのはどうだろうか。」
「”そんなの無理だ!出来っこない!歴史も見ても人間は戦争をやめないじゃないか!” って言われても諦めず、絶望せずに続ける努力は精神を鍛えてくれる。私はそれが武道精神だと思う。」と伝えました。
話をする前は引き手が緩んでいたり、注意散漫だった子が胸を張り大きく発声し稽古に励んでいました。
言葉の持つ力を信じ、これからも子供たちと言葉を重ね、互いの想いを共有して信頼を強固にして行きたいです。


和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P7 ≪武道精神は現代人にも必要か》
武道精神というと何んとなく時代に逆行した封建的精神のように感じとられ勝ちであることは真に遺憾である。それは前述の如く封建時代において一権力者のためにのみこの勝れた立派な精神を利用され、また無智がそうさせたために一般大衆は永い間窮地に閉じ込められてしまった。それが戦後急変して民主主義国家として開放され自由を獲得した反動がそう感じさせるのは無理からぬことである。武の道は前述の通り平和な社会を建設して、人類相互の生活を向上させるにあるのだから、いつの時代でも必要欠くべからざるものであり、この道を決行する人間の精神力即ち武道精神はいつの時代でも必要である。殊に通信、交通機関の異常な発達は国と国との距離を短縮し、為に摩擦を生じがちになり、また高度の科学進歩は相互に疑心暗鬼を抱かしめて反目し合うようになった。平和促進は時代の進展にともないかえって困難さを増すのではなかろうかとさえ考えられる。
従って今後は尚いっそう武道精神を必要とするだろう。要はこれを正しく適切に用いることが肝要なのである。

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