日本武道に先手なし

暖かい季節を迎え、道場稽古だけでなく外での運動も心地良く出来るようになりました。
3月は学校を卒業する時期で、4月から新しい環境での生活に対し不安と期待を抱く子供たちと話をする機会があります。
私は「新たな場所で自分は何をしようとしてしているのか?」を明確にし見失わないことの大切さを伝えるようにしています。
道場では黒帯を手にすることがゴールだと決めてしまい初段位を取得してすぐに稽古を辞め道場を去ってしまう子や稽古を続けたいけど塾や部活で道場稽古の時間が取れなくなる生徒たちがいれば、段位を取得後、数年経っても目標を持って稽古を続ける生徒たちがいます。
目的や目標を持って取り組む者たちは習うだけでなく自分でも考え身体を動かし、自分の内面と身体の内側と向き合っている姿勢が、発言や態度から見ることが出来るようになりました。
私は自分の身体の中で腹筋を鍛えることを重視しているので、ある程度の突きや蹴りを受けても身体には響かないのですが、最近はこの子たちの突きの威力を実感するようになりました。
私が「今の効いた!」と叫ぶと、生徒たちが屈託の無い笑顔を見せてくれる瞬間があります。
稽古が楽しいと感じるつつ、決してだらけずに真剣に打ち込み、互いが幸福を感じられる時間を生んで行きたいと思っています。

和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P11 ≪日本武道に先手なし≫
前述の如く武道の根本理念は平和にあるので、故なくして武技を用うることは当然ありえないのである。またこれを用いねばならぬことほど人間として最大の不幸はない。だから終生これを用いないですむ様に争いごとや戦争をなくするために武道があるのである。だからみだりに先手に用いることは最もにくむべきことである。武技を用いるのは紛争解決の手段としては下の下策で、相手の暴力に対し万策つきてこれを用いる以外に手段方法のない時止むを得ずして用いるのである。用いる以上は絶対に平和をとり戻さねばならない。そのためには断じて勝たねばならぬ。だから皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切り,骨を切らして髄を切るという生死をかけて勝たねばならぬ教えがある。たとえ斃れても必ず相手を斃さねば止まぬのである。日本武道は積極的であり大乗的である。決して護身が目的で生れたものではない。護身は勝つための防禦である。そこに日本武道の特性がある。技はたまたま護身術になり得る場合があるに過ぎない。武技を護身のために用いねばならぬことさえ既に不幸な事である。この不幸を未然に防ぐため、「気構え」「心構え」がやかましくいわれるのである。戦略的に先制するため先手に出ることはあっても、それはあくまで勝つための戦術的手段に外ならない。

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