Budo is the way to walk up to each other regardless of nationality, skin color, religion, men and women of all ages, and seek harmony together. 国籍も肌の色も宗教も老若男女も問わず互いに歩み寄り、共に和の道を究め和を求む道、それが武道。

8年前と変わらず今も空手道が好きな女生徒たちの存在が、私に生き甲斐を与えてくれています。
国籍も肌の色も宗教も老若男女も問わず互いに歩み寄り、共に和の道を究め和を求む道、それが武道。

As with karate practice, you can do it if you have a space of 1 tatami mat 空手道の稽古同様に畳一畳あれば出来ること

今朝は強風と降雨だったので、子供たちは肌寒さを感じていたようですが、私には蒸し暑く感じる朝でした。
いつもの多摩川では運動出来ないため、自宅で出来ることを選んでいたら、道場にいる猫背の生徒が頭に浮かびました。この子は普段の生活や学校で軽度の運動中に怪我を負うことが少なくありません。本人はただの不注意が原因というのですが、私は他にあると思うので今夜の稽古で体幹について見直す運動を紹介することに決めました。
今は綺麗な青空が広がり気持ちが良いです。
今から張り切って道場稽古に行って来ます。

The early bird catches the worm 早起きは三文の徳

早起きは三文の徳と言う通り、普段は早朝から川釣りをする人たちがいるはずの場所に今朝は誰もおらず、川に入って稽古が出来、雨が降り出す前に終えることが出来ました。
「川辺の石や岩の上で、また流れる川の中で私は姿勢を崩さず思い通りに身体を動かせるのか?」という問いの答えを出しに行きました。
結果は、修行不足を痛感し帰宅しました。

黒帯特別稽古会 ≪第1回≫(2023年11月4日)

昨年4月と今年の4月から社会人になり、平日の稽古に参加が難しくなった生徒たちや、一昨年から黒帯となり後輩たちの世話する時間が多くなった生徒たちを想い、11月4日から12月2日まで毎週土曜日に、私の道場へ通う生徒たちの中から、黒帯のみを対象にした稽古を行うことにしました。
昨日1回目を行い、順突き、ピンアン二段、ナイハンチ、基本組手一本目そして熟練組手の『突き』について取り組みました。
私の欠点が出てしまい、わずか2時間の中に詰め込んでしまいましたが、皆の「好きなことだから」「高みを目指しているから」という想いと努力を感じました。

当学院で学んでいる生徒の半数が女性です。稽古を通じ、自信を持ち輝いている姿はとても美しい。

11月3日(祝日)・金曜日クラス・千歳校・成人の部の稽古。
皆、国際大会や全国大会で上位入賞した者たちで、とても稽古熱心です。
このクラスだけでなく、私の道場に通う生徒の半数が女性で、空手道だけでなく短刀取りや居取り、女子護身術など柔術も一緒に研究しています。
稽古を通じ、自信を持ち輝いている姿はとても美しいです。

「和道流の熟練組手が復活した!」と叫び、皆で喜びを分かち合える日を夢見て、見つけることが出来た本当に欲しかった宝物を私たちは磨き続けます。” Wado-ryu Jukuren kumite has been revived ! ” Dreaming of a day when we can shout and share joy.

「和道流の熟練組手が復活した!」と叫び、皆で喜びを分かち合える日を夢見て、見つけることが出来た本当に欲しかった宝物を私たちは磨き続けます。そしてその価値を共有し分かち合い、さらにより良く出来る道を開拓して行くことが出来れば、それは素晴らしいことだと想っています。
宝物を見つけるには地図を広げ様々な困難に立ち向かい、途中で何かを失ったり、挫折しそうになりながら、自分だけではなく関わる人々の力を得て目的地に辿り着き見つけることが出来るものだと思います。見つけた物が想像とは大きく違ったとしても、その瞬間までにしてきた経験や積み重ねた努力、人の優しさや厳しさ、命の尊さや儚さに触れ価値を知ることは、目の前にある宝物とは比べ物にならないくらい掛け替えの無い存在になるのではないでしょうか。そのかけがえのない存在を忘れぬため、手に入れた宝物を磨き続け、そこに映る自分の姿を見つめ向き合い「宝探しに発つ前と、最中と、見つけた時の想い」を今、私は失っていないかと自問自答出来ることこそが宝物だと私は考えています。
和道流空手道連盟 三代宗家 大塚博紀 最高師範が2016年に日本へ帰国して下さり、私たちは今まで以上により良い正しい和道流の稽古法を授かることが出来ました。
外面的表面的部分に意識が行きがちだった基本に関して、腰の捻りや胸椎の回旋を生むために先ず何をすべきかなど、内面部分を強く意識し自分の身体と深く向き合う変化が生まれました。
形に関しては突きや蹴りに対してだけでなく、掴まれたり刃で攻められた場合でも、形一つひとつの一挙手一投足には攻撃に対応出来る動きや技が秘められていることや、組手に活かす剣術、柔術の体捌きなどの特長を形からも強烈に感じるようになりました。
そして組手は、基本組手の裏を開示して下さったことです。これにより何故基本を行うのか、基本をどう応用するかが明確になり、形に反映させることも出来たりと、柔術、剣術の特長を取り入れ技の合理性を追求出来るのは勿論、稽古法をはじめ普段の生活や人との関わり方にも応用出来るようになりました。生き方が楽になりました。
和道流という鏡に映る自分の姿と向き合い「宝探しに発つ前と、最中と、見つけた時の想い」を失うことなく、私は「無理なく、無駄なく、合理的な技」について自問自答できる宝物を磨き続け、「和道流の熟練組手が復活した!」と叫び、皆で喜びを分かち合える日を実現します。

「古(いにしへ)を稽(かむがへ)る。」

「古(いにしへ)を稽(かむがへ)る。」
「技の習得と共に自己の内面を研鑽し高める道程」と捉える『稽古』という言葉も、そして毎日稽古することが私は好きです。古を稽え想像することを繰り返していると、ある日突然天から降って来たかのように閃く瞬間があったり、夢の中での教えを受ける軌跡が訪れるからです。